「暖簾を降ろすという事」
2012年06月27日 (水) | 編集 |
国民の生活が第一、を謳って霞ヶ関に集った方々は、国民生活を考えているとは思えない

・・知り合いの鰻屋さんが、この夏で暖簾を降ろす事を決断したそうである。
長引くデフレ不況で客の入りが芳しくない上、今年は鰻の稚魚が少なく原価が高騰している。
商売を続けても、とても採算がとれないと苦渋の判断だったようである。

牛丼屋やコンビニの鰻丼は数百円値上げして、今年の鰻恐慌を乗り切ろうとしている。
原価も出来る限り削っているはずだから、どこの鰻だか分かったものではない。
知り合いの鰻屋さんは、八代二百年は続いた老舗である。
暖簾に傷をつけるような鰻を出したら、ご先祖に申し訳が立たないという。
老舗ほど商品の品質を守らなければならないから、経営が立ち行かなくなってしまう。

観光資源が乏しい南茨城において、湖畔の老舗鰻屋が暖簾を降ろすことが何を意味するか。
市や県の行政を預かる方々にはよく考えて頂きたいと思う。
国の舵取りを任された方々が、景気を改悪する施策への固執を止めることは無論のこと。